感謝

店主の独り言

こんばんは。

ここ最近は、暑さの影響で自転車を使わずに、公共交通機関を使っているのですが、なんか自分に負けてしまっているのではないかと、自問自答している日々が続く竹添です。

※早く答えを出した方が良いと思います。

 

さて、僕は鹿児島県の出水市高尾野町というところに実家があります。熊本県と鹿児島県の県境にある小さな町です。

高尾野は、鶴の渡来地として有名で、冬になると毎年テレビで、今年は「何万羽」とニュースが流れます。実は、その渡来地が実家のすぐ近くで、日頃見ている景色が全国ネットで流れているのを目にすると、なんだか誇らしげに感じていたのを覚えています。鶴の世話や施設の管理などには一切携わっていないですし、たまたまそこで生まれただけなのですが、何だか自分事のように思っていました。笑

高尾野の中学校を卒業後、僕はサッカーをするために鹿児島市内の高校に入学しました。親元を離れ寮生活のスタートです。

 

高校時代は、とにかくサッカーの日々でした。

平日は、朝練、授業、夕練、帰宅。

週末は試合。

試合翌日の月曜日は休み。

そんなルーティンだったと思います。

なので地元に帰るのは、お正月くらい。とはいえ、ほとんど友達と遊びに出かけてばかりで、家にはいませんでした。

お父さんが「陽は、何しに帰ってきてるか分からん」と、家族で集まっていた時に皆の前で笑いながら話をしていたのですが、今考えると確かに何しに帰ってたんだろうと思います。

正月やお盆は、家族で皆で集まる。なんとなくそんな空気があり、それに従っていただけのような気もします。まっ、家にはほとんどいませんでしたが。笑

ちなみに、電話をすることもほとんどなく電話をするときは、お金が必要な時だけ。なので、陽から電話が来るのが怖かったと後々両親が言っていました。ごめんなさい。

 

高校卒業後は、熊本の八代にある専門学校に入学しました。数か月は自宅から通いましたが、片道1時間の通学より、一人暮らしの方が色々と都合が良いことが分かり再び地元を離れての生活がスタートしました。

となると、やっぱり実家に帰ることがほとんどなくなってしまいます。

別に地元が嫌いとかではないのですが、今の生活環境が楽しくてそっちを優先する結果、帰ることがほとんどありませんでした。

それでも、お盆や正月は帰っていましたが、やっぱり家にはほとんどいませんでした。

 

過去を振り返りながら、このブログを書いていますが、ほんとひどい息子ですね。笑

 

そんなこんなで、15歳で親元を離れ、先日35歳になり、丸20年が経ちました。

今は、以前より実家に帰ったり、電話することも増えました。

結婚したり、幅広い年齢層の方とお話しさせていただいたり、仕事など様々な経験をさせてもらうなかで、両親への感謝の気持ちが深くなってきているのを感じます。

そして実家に帰ること、電話をすることは僕なりの両親への親孝行だと思っています。

僕なりの解釈かもしれませんが、お正月やお盆に帰省する意味がなんとなく分かったような気がします。

今のところ、そんなことでしか親孝行できていませんが、すごく大事なことなんだろなと感じています。

 

 

今年のお盆は、コロナの影響で帰省を断念しました。

いつ帰省出来るか分からない状況が続きますが、帰れる日を楽しみにしときたいと思います。

 

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